2021年7月5日
何年か前に、この写真を「絶望」と名付けてくれた人がいた。絶対的な希望と。
小林鉄斎
2018年9月5日
犬種 雑種犬 名前 まる子
何年か前まで山口県で野犬として生きていた。
人に虐待され、保健所に強制収容され、殺処分前日に
心ある人に助けられました。今は茅ヶ崎で幸せに暮らしている。茅ヶ崎まで来たいきさつは下記をお読みください。
撮影時、まる子は僕の顔を一度も見なかった。まだ何かにおびえていた。いつの日か、顔を見てくれる日が来ることを信じてまた会いに行きたい。
この度、縁あって「保護イヌ・保護ネコ応援プロジェクト」を行うことになりました。僕は、里親になって育ててあげることはできません。出来ることは、写真を撮ることくらい。
僕の撮った写真で、ペット問題を、一度立ち止まって考える、きっかけが出来れば。。。
どんな問題があるのかを知った時、初めて問題解決のための知恵が出るのだと思う。
小林鉄斎
以下「2000の野犬たちを救え!プロジェクト」より転記
〘 母犬 まる子の熱い日々 〙
一昨年の暑い 夏
一匹の雌犬が七匹の仔犬を産んだ
よくある話かも知れない。
場所は山口周南センター
臨月とも言える大きなお腹をした母犬が、期限が迫り蹲っていた。
センターでは言うまでもなく期限が来るまでに里親さんの挙手か、引出しボラさんが 引き出し挙手をしない
限り、この母犬の助かる道はない。
その痛々しい姿に思い余り、同県の方の助けを借りて山口から新幹線で大阪にリレーをしてもらい
大阪から、千葉の自宅へ車両で移動することに なったのだった。
雨降る、ハイウェイ
山口から遠く800キロに差しかかっ静岡県を通過するとき
走行中の車の狭いキャリーの中で、母犬は七匹の仔犬を産んだ。
涙しながら大事な赤ちゃんを 全員無事にに産んだ、母犬
殺処分ゼロの意を託して、その名前を〔まる子〕とした 母は
孤独と恐怖と、その立場の貧しさと闘いながら 熱い母の想いを見事に果たしたのだ。
そんな強い母 まる子は、人に厳しいトラウマを抱え
逃げる、隠れる、震える そんな毎日が続き、神奈川のKさんに
親子八匹を託すことになり 仔犬たちは大きくなり
これ以上ない理想的な里親さんに手渡された後、怯えた母 まる子は一年半、人馴れとの戦いに頑張った。
山口で、野犬として生きて来た まる子
母犬として、立派に生き抜いた まる子
野犬はどこにもいるかも知れない、母犬は沢山いるかも知れない
しかし、そんなまる子が 私たちに伝えたかったことがある
「そんな、どこにもある暮しが 私たちには ない」という事を。
まる子は今
預かりさん宅の家族となり、外で散歩が出来るほどに なった。
この普通の姿になるまでの、人と犬の苦労と時間は計り知れない。
2017年11月12日 ·
鎌倉から茅ケ崎に向かう134号線。
1年ぶり以上に夕景撮影。
雲の隙間からいくつもの光が差している。
突然工事中の金網が高くなり美しい景色を遮った。
夢の前に立ちはだかる壁のように障害物があらわれた。
車窓より撮影
小林鉄斎
2015年12月31日 ·
「激流を制するは静水」
フェイスブックを始めて以来、ずっとフォローしてくれている人がいる。僕にとってとても大切な人。その人が僕の写真をみて、こんなメッセージをくれました。「ただ過ぎていく物悲しい毎日の中にも熱さと激しさがある、そんな風に思う。激流を制するは静水。」その人の中でずっと変わらない僕のイメージだそうです。北斗の拳の熱烈なファンだと思われますが!(笑)今年最後の写真は、そのイメージで!かな?
あれだけ綺麗だった紅葉も、花も今はなく枝だけに。しかし、良く見ると枝の先には、来年花を咲かせるための準備が出来ている。そして春には、また皆を魅了する花を咲かしてくれるでしょう。僕自身もそれに負けない魅力的な花を咲かせたい。来年もよろしくお願いします。
茅ケ崎赤羽根山にて撮影
小林鉄斎
2015年12月27日 ·
海での写真は、去年の11月に撮った友人の家族写真。父と子の競争で、息子に負けじと本気で走っていた。勝った時のドヤ顔は今でも目に浮かんでくる。冷たい海に元気に入っていく息子の姿を見る顔も忘れることは出来ない。下の女の子は、ママに最後までずっと抱っこされていた。何度もやさしく話しかけていた。昨日のように色々な情景が目に浮かぶ。それから4ヶ月後、子ども達のお父さんは、遠い天国に行ってしまった。
海での撮影の、1年後の11月8日、下の子の七五三写真を撮ることになった。家族全員との久々の再会、今度はおじいちゃんおばあちゃんも一緒だった。皆元気そうだった。お兄ちゃんは、緊張する妹に優しく声をかけたり、面白い顔したりして緊張をほぐしてくれた。そのおかげで良い写真がたくさん撮れた。最後には、妹がお兄ちゃんにヘッドロックをかけたり・・・(笑)、それでもニコニコのお兄ちゃんだった。
写真館では、型物という撮り方がある。家族3人の写真では、本来お父さんの位置にお兄ちゃんに立ってもらった。お父さんのような立派な大人になってもらいたいという願いを込めて・・・。
小林鉄斎
2015年4月19日
4月5日で51歳になりました。おそくなりましたがたくさんのお祝いの
メーッセージ有難うございました。そこで!!
51歳おじさんの主張。
「花見にブルーシートはいらない。」
いつから花見にブルーシートが使われるようになったのだろうか。
以前は各自が茣蓙(ござ)やレジャーシートを持ち寄っていたのに、ある時からブルーシートが当たり前になってしまった。
場所取りや大人数の花見には確かに便利かもしれない。
でも、ただ便利というだけで許されてしまっていいのだろうか。
景観や情緒なんていうものはどうでもよくなってしまったのだろうか。
先日、友人に誘われ桜を見に行った。
桜も満開、ブルーシートも満開、ゴミも満開という現実にがっかりした。
それでも、そこには綺麗な桜を見るために多くの人であふれていた。
昨今、わざわざ桜を見るために外国からの観光客も増えていると聞く。
この日も多くの外国人観光客が花見に訪れていた。
見事に咲いたソメイヨシノやひらひらと舞い散る花びらの情緒を楽しみにしていた人たちは、ブルーシートやゴミの山を見てどのように感じたのだろう。
また、親に連れられてきた子供たちの目には、お酒に酔って羽目を外しワイワイ騒いでいる大人達の姿がどのように映ったのだろう。
桜の下に集まってお酒を飲んだり食事したりしてはいけないとは思わないが、美しい自然を日本人が自ら汚すことは少し悲しいなと思った。
僕の住む茅ケ崎湘南でも、毎年同じような問題が湧き上がる。
そう、ビーチでのゴミ問題、騒音問題です。
『景観を意識し情緒を楽しみ、思いやりを持つ』1人1人がそんな気持ちを持てたら問題は簡単に解決し、もっともっと素敵な日本になるはずなのに……。
幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人旅行家は、日本美術の素晴らしさに甚く感銘を受け、箱庭のような美しい街並みを称賛したそうです。
そんな日本を取り戻したい。
小林鉄斎
2015年11月26日 ·
風化されゆく記憶
取材で岩手県の宮古市、そして重茂漁港に行ってきた。
盛岡から車で2時間、宮古市に入ると写真や映像で何度も見た、黒い津波が防波堤を乗り越えてきた場所を案内された。町には空き地が点在している。津波で流されたところだそうだ。震災前を知らない僕にとっては、正直ピンとこなかった。何もなかったかのように人も街も動いているように見えたからだ。その防波堤を横に見ながら、重茂漁港に向かった。重茂に入ると、津波で集落ごと流された後の大きな空き地、そして仮設住宅もところどころにあるが、やはり、一見何もなかったかのように時間が流れているように思えた。
遠く離れて暮らす自分にとって、あの震災は忘れ行く過去のものになってしまったようだった。取材を終えて東京駅に着いた、駅構内は煌々と明かりはつけられ、帰りの東海道線の車窓からは街を彩る華やかなイルミネーションが見えた、僕はその華やかさとは裏腹に空虚さを感じざる得なかった。同時に、あの震災で気づかしてくれた多くのことを、忘れないために、また写真を撮りにいきたいと強く思った。
今回の取材で、協力頂いた関係者の方々に感謝。
小林鉄斎
2015年7月5日 ·
考えさせられる。
ペットショップで売れ残りとなってしまった犬はどうなるのか
ペットショップで売れ残りの犬の全てに、里親を探してもらえるなんてことはない。
ペットショップで売れ残りの犬になってしまった犬のうち、特に病気が見つかってしまった犬やどこにも行く先が見つからなかった場合は殺処分の道をたどる場合がある。
以前は、ほとんどの売れ残りの犬が殺処分となっていたが、業界全体でも徐々に改善されてきたと言われている。
下記サイトより抜粋
http://tsunayoshi.tokyo/c/e558419c442f34c1c7633926991e2565f…
小林鉄斎
七里ヶ浜にて 2014年6月16日撮影
もうすぐ夏がやってくる。
わくわく楽しい季節と同時に、浜でのゴミ問題を抱える季節でもあります。
1年前の今日、七里ヶ浜にウミガメが打ち上げられた。その打ち上げられたウミガメによって、僕自身が気づかされたこと、そしてあの時の反省を忘れないように、再度投稿させて頂きます。
「ゴミを捨てるのをやめよう!」
前回の投稿でこんなメッセージを書きました。しかし本当はこんなことを言える立場の人間ではありません。
実は、このウミガメを見つけて写真を撮っていた時、ペットボトルがウミガメの周りを波にゆられ浮遊していた。
そのペットボトルを見て僕は、邪魔としか思いませんでした。そう写真を撮るうえで出来る限り汚いものや必要のないものは写したくないと。
ウミガメを見つけた16日の日に第一報を投稿しました。そこに、死因の1つにビニールを飲み込んでしまうことがあるというコメントが寄せられた。
僕はその時はじめて気がつきました。と同時に自責の念にかられました。写真の右上にあるペットボトル、周りに落ちていたゴミを拾おうとしなかったからです。
もちろんゴミを捨てることはしません。しかし拾うこともしていなかった。
しかし、ゴミを捨てることとゴミを拾わないこと、そこにどれだけの差があるのだろう……。
海、浜にあるゴミは、浜で捨てた人だけのゴミがあるわけではありません。
家庭で出したゴミが風で飛ばされたもの、内陸の川から下ってきたもの、もしかしたら自分が出したゴミをウミガメが飲み込んでいるかもしれない。
今の私たちの生活のスタイルを続けていく限りゴミはなくならない。
また、現実問題として生活のスタイルを変えることはできない。
自分に何ができるのだろう……。その時に、南米アンデス地方に伝わる話「ハチドリのひとしずく」を思い出しました。
いま、僕にできることはなんだろう、すべきことは。
それが、海に出かけるときに、小さなゴミ1つでも拾ってくることだった。
この打ち上げられたウミガメをきっかけに、たくさんの人の中になにか気づきが生まれることを願っています。僕が50歳にして初めて気づきがあったように。
そしていつの日か、この湘南の各浜に毎年ウミガメが産卵しにくる日を夢見て。
小林鉄斎
2013年11月12日 ·
小学生の部は、男女に関係なく対戦する。
たとえ女の子の方が体が大きくても、男の子が女の子を圧倒する試合が多かった。この試合も、女の子の腹部に蹴りが入った。その瞬間、床にうずくまりお腹を抱えて動けなくなった。
主審が近寄り、ヘッドギアを外しやさしく肩に手を置く。痛くて自然と涙が出てきたのだろう。まもなくして右手で涙を押さえた。悔しくて涙が止まらなくなったのだろう。会場にいる全員が、試合に出るまでの厳しい稽古に耐えてきたことを知っている。勇猛果敢に立ち向かっていった姿を見ている。怪我や痛みの心配、いやそれ以上に、ここまできた道のりに対して称賛し、あたたかい目で女の子を静かに見守っていた。
国際大山空手道連盟「第22回全日本選手権大会」にて
小林鉄斎